結論:私たちは人間でないことを認めた方がいいと考える
考え事はたくさんあるけれど、それを言葉にできない。文章にできない。
文章にしようとすると頭が止まってしまう
そのため、ブログを書くことをやめていました、約10日間。
とにかく考える。
何について考えているのかと聞かれれば、それを言葉にできないから困る。
たぶん、客観的に語れない、抽象的な事柄だからだと思う。
私がしてきた旅について書くべきか、仕事のできごとを書くべきか、そんなことではないと思う。おそらく。
今は考えるだけ考えて言葉にできないことを楽しんでいるだけなのです・・・・。
例えば、なぜ地球が丸いのか、なんて考えているわけではない。
地球が丸い理由なんて神様がいるのかいないのかわからないと同じように答えがでないものについて考えることを私はやめている。
よくある哲学の問題と言われているものに、「人間とロボットは何が違うのか?」「人間たらしめるものは何だ?」という問いがある。
私が考えうる区別は以下の通りです。
「ロボット」:目に見える存在
「人間」:目に見えない存在
しかし、厳密に私はわからないです。
抽象的な表現で表されるのが人間だと思うけれど、そう思い込まされるようプログラミングされていることを否定することはできない。
人間とロボットの違いをいくら並べたって最後は目に見えない「心」とか「魂」の有無になってしまう一方で、人間だって物質で作られたもの。
現に、だから、臓器移植のような臓器の取り換えができるんです。
そして、この論争は、私たちが人間でありたい、ロボットでないと信じたい心が生み出している問いなんだと思う。
そもそも人間という基準を作り出したのは誰?
この世の中、個人差はあれど、一般的もしくは学者の作った基準で生物も物質も名称が与えられている。
私たちが人間でありたいと思うなら、人間の基準を作り、特許を取るほかならないと思う。
人間は哺乳類であるということは学者が既に基準を作ってくれていますから、ロボットは哺乳類ではないので、その時点で人間ではありません。
それでも自信がないのであれば、肉付けしていけばいいと思います。
ただ単に人間とロボットの違いを論争したいのであればそれは、私たちは人間であることを諦めることで解決するように思います。